上原浩治に聞く Q.27 夢をあきらめたあとにある生き方とは? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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上原浩治に聞く Q.27 夢をあきらめたあとにある生き方とは?

「メジャーリーグで先発投手として活躍したい」そんな夢を追った上原投手。「先発失格」と言われてどう考えたのか。

「夢は、メジャーの先発投手」。大学時代にきら星のごとく現れ、在学時にメジャーからオファーが来るなどその「夢」を追い続けてきた上原投手。紆余曲折を経てメジャーへと活躍の場を移して以降、主戦場はセットアッパー、クローザーだった。メジャーで先発投手として活躍する、という夢をあきらめ、その先にあった自分の持ち場で一流となる。そこにある哲学に迫る。

悩まず受け入れられた「中継ぎ」

 

――今回の質問は「夢をあきらめたあとにある生き方とは?」なのですが、少し説明をさせてください。上原投手はかつて「夢はメジャーで先発投手」とおっしゃっていた。残念ながらメジャーで先発投手は断念せざるを得なくなったわけですが、その後、クローザー、セットアッパーとして確固たる地位を築き上げられました。夢の次のステップ、そこでどういうふうに考え、行動してきたことでいまのポジションがあるのかをお聞きしたいのです。

はい。まあ、いまでも先発をあきらめてないですけどね(笑)。

――なるほど!

はははは。いや、まあ現実としてそれはなかなか難しいんですが、確かに先発へのあこがれというか、こだわりはあったと思います。でも、いろいろなポジションを経験して自分がなにを本当に成し遂げたかったか、それを突き詰めて考えたんです。

振り返ると、ジャイアンツから念願だったメジャーへフリーエージェントで移籍できた。そのときは先発だったわけですね。でも、二カ月くらいで怪我をする。このときは「ああ、もう投げられないかも……」と思ったくらい落ち込んだ。そして、翌年所属していたボルチモアから中継ぎ転向を言い渡されました。
実は、このときはあまり悩まず受け入れられたんですね。
「わかりました」と。
ただ実際にシーズンに入ると、中継ぎといっても敗戦処理に近い起用が多かった。だからそのときは「なにしに来たんだろう」と悩むことも多かった。

それで考えたんですね、その何しに来たんだろう、ということを。

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上原 浩治

うえはら こうじ

1975年4月3日生まれ。東海大仰星高校時代は、外野手兼控え投手。1年の浪人後、大阪体育大学に入学し、当時敵なしといわれたキューバ打線を封じ込めるなど投手として注目を集める。1998年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目から20勝4敗の好成績を残し、新人王と沢村賞をはじめ最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率などタイトルを総なめにする。以降、怪我などもありながらジャイアンツのエースとして活躍。2009年に海外FA権を行使しボルチモア・オリオールズに入団。さまざまなポジションを渡り歩きながら着実に実績を重ね、2013年にはテキサス・レンジャーズからボストン・レッドソックスに移籍。シーズン途中からクローザーとなり、リーグチャンピオンシリーズMVPを獲得するなどワールドシリーズチャンピオンに貢献した。現在もボストン・レッドソックスに欠かせない投手として活躍する。



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